支援の失敗 ぼくたちの失敗

「サポートを受ける人が主体的に振る舞えているか」がわたしは大事なことだと思いますよってのが結論。


わたしは学はないが科学は好きな方だと思う。ナツメ社の図解雑学とかブルーバックス鈴木みそのまんがとかそういうレベルなんだけど。不完全性定理とか、不確定性原理とか厨二心をくすぐるし、ルシフェリンとかルシフェラーゼとか、そのまんまだし。基本、命名ギリシャ神話から持ってくるあたり(今となっては昔だけど、化学系なら現役?)は科学者の厨二度の高さを物語ってるよね。どうでもいいはなしだ。「疑似科学と科学の哲学」くらいしか読んだことないけど、おもしろかったねぇ。

で、仕事柄か疑似科学の脅威にさらされることはよくあるんだ。ひっどいのだと自閉症を漢方で治すとか、まだまし?のだとEM菌を使った園芸療法とか。知的障碍者の入所施設で支援員をやっていると、あるあるなのかな。ご利用者の保護者がかなり怪しげな〜〜療法とかをすすめてくることはあるんじゃなかろうか。


とらねこ日誌

ごく普通のたくさんの人々が、優しく手を差し伸べてくれるかどうかを基準にして騙されやすくなっているんじゃないかな。
でも、それってニセ科学代替医療のワルイ所なの? 優しく手を差し伸べてくれる人を信じて何処がワルイの? 僕たちが誰かを助けたいと思った時に、どうして同じようにしちゃいけないの? そんなワルイ連中は、「話を聞いてもらう」と謂う第一段階を簡単にクリアしているんだよ。そして、人々がそんなワルイ連中を信じてしまうのは、優しく手を差し伸べてくれるのがワルイ連中ばかりだからじゃないの?
なんで僕たちは、困っている人たちに優しく手を差し伸べて、笑顔を向けてはいけないと考えなくちゃいけないのかな。それって人と話をする時に当たり前に必要な手続きなんじゃないの?

ニセ科学の問題に効果的に対抗するには、大多数の人々が当たり前に持っている日常的な合理性に基づいて正しい情報に辿り着くことを手助けする事が大事なのではないか

小さな親切、大きなお世話っていうのは現代のことわざなのかしら。誰かを助けてあげようって気持ち、行動は自然なことだと思います。別にそういう気持ちがなくて、しない人は不自然なわけではないです。

誰かをサポートしようとしたとき失敗することはよくあります。というか、私の日々はソレばっかりです。仕事が知的障碍者の入所施設の支援員だからでしょうか。

視覚障碍者と思われる方が、横断歩道で立往生していたので、声をかけて、一緒に渡ろうと、腕をひっぱったら、「やめてください」と言われた。よくわからず、ショックを受ける。なんてことは、ありがちではないか。どうやらその人は引っ張られるとこけるかもしれんので、肩にでも手を載せてついてきてほしいとのことだった。

かくも、サポートの失敗はこわいもので、まんじゅうなんて目じゃない怖さがそこにはある。余計なお世話だったり、間違った方法だったり、コミュニケーションがうまくとれてなかったりと、いろいろあるんだけど、一番の問題はなんだろうか。

わたしはサポートを受ける人が主体的に振る舞えているかどうかが一番大きな問題だと思う(いつも思う、あとから思う。後悔と反省と酒とバラの日々)。サポーターと支援を受ける人って関係性が、支援を「受ける」ってところで能動的に・主体的になりにくい部分もあるのかもしれないです。

何か助言を求められたときに、困った状況に陥っているときに、どうやって、どのような、助言をすればいいのか、も、やっぱり、その困っている人が主体的に振る舞えるのがいいんじゃねーかーと思うんです。大きな声で脅されたり、こんなこともわからんのとバカにされたり、サポーター・アドヴァイザーに(無意識も含めて)誘導されたりすることなく自分で選んで決定できたら、すごくいいですよね。


【震災】「避難」リスクと「被爆」リスクという変な二項対立について - キリンが逆立ちしたピアス

移住せよとは言うべきではないし、残れとも言うべきではない

現段階で、迷って当たり前である。そこに、科学的な装いでリスクの比較を持ちだして、「フクシマ被災者が移住を避けるべき」などと言わせることはできない。いま、福島や、そのほかの地域で移住を考えている人たちに、残るべきなどと言えない。職を失うかもしれない、ネットワークを失うかもしれない、そんなことはみんなわかっている。わかっていて、選ぶことがある。その選択に絶対的な正しさなんかないけれど、信じる方に賭けるしかない。そういう当事者に、呪いをかけるのをやめろ。

逃げていいのだ。科学的に根拠がなくて、合理的でなくても。なぜなら当事者だから。私たちには移住の権利がある。そして、いま被災者にはそれを選ぶ権利があって、それを支える義務が私たちにある。

そこに科学の力で介入しようとするならば、その人は徹底的にその科学性を問われるだろう。id:tikani_nemuru_Mさんは「自分は素人だ」と繰り返している。「だから何?」である。素人だから何か免罪されると思っているのだろうか。


仕事でご利用者に喫煙はあなたに健康に害を与える可能性があります。というのを伝えんといけないことがあったけど、あのとき、わたしはやめさせようとしていなかっただろうか。議論とか言って、誘導や脅しやそんなことを使って。それって、よくないよね、たぶん。


ちょっと難しくてよくわからん部分も多いけど、ふむふむと思った。ちょっとでも、わからんねからわかるように説明しろって逆ギレに近い感情もフツフツ沸くねけど、議論できない馬鹿お断りとか言われたらシュンってなるやろな。問題はどうすりゃいいのか、どう伝えたらいいのかがよくわからん。わからないことをわかっている人に伝えることの困難さってのは、よくある話。

あと、イルカと胎児と知的障碍者のジョークを見たときの絶望感に似ている。