わたしの話からみんなの話につなげたいのだけどうまくいかない

まずは、わたしの話から。私は知的障害者入所更生施設で作業指導員をお金をもらってやっている。年収は300万以下です。"知的障害者"の"入所更生施設"の"作業指導員"ってなんだか刑務所っぽいですよね。旧法から新体系に移行しなければならないのがたしか、平成24年。西暦でいうと何年かはよくわからないけど、法律が変わるので名称も変わるかもしれんのだけどよくわかりません。

知的障害者の施設で3年ほど しごとをしました。きょうは、その施設の おまつりに あそびに いきました。「あべさん。あしたは?」「とまり?」って きかれた。

http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20101103/1288793962

と、あべ・やすしさんが書かれていて、どこでもいっしょだなぁと思った。この文を読んだとき、あるあるって気持ちに少しなり、あとから寂しい切ない気分になった。施設の利用者はそこで支援員として働く人の勤務、特に、宿直・当直、夜勤を気にする人が多い。変化に乏しい施設内では勤務と献立とテレビ番組欄くらいが毎日変わるものだからかな。変化が苦手な人も多いのですが。特にやはり「とまり」を気にする人は多い。そこらへんの気持ちを想像するととてもとても暗い気持ちに、わたしはなる。もう少し考えてみようかな。


知的障碍者の施設って言ったら、住居と福祉的な就労の場と生活介護とかが組み合わさって、法律でいろいろ決まっている。授産施設であったり、グループホームであったり、ケアホームであったり、入所施設であったり。わたしが働いているところでは、利用者の住居であり生活の場であり福祉的な就労の場でもある。比較的に住宅街の中にあるのだけれど(田舎だったら、山ん中や田んぼの真ん中なんてのも多い)、小学生が見学に来たり、中学生が福祉体験・職業体験に来たり、大学生や県職員が実習に来たりすることも多い。ボランティアの人もたまに来る。

社会貢献活動というと、たいていある種のボランティア活動を指す。たとえば介護ボランティアなんかがあるが、これが素人のボランティア程度ではさっぱり役に立たず、現場に迷惑をかけるばかりというのはよく聞く話である。介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ。

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20101022/1287712210

その気持ちはわかるなぁと思った。私自身、福祉に関する専門教育も受けてこなかったし、人見知りの非コミュだし、不細工だし、人当たりわるいし、体力ないし、しゃべればどもるし、人の話を聞けないし、頭がよくないし、友達いないし、家族ともうまくいっていないし、お金ないし、まあ、つまり、役立たずなわけです。だから、わたしなんて働いていけないよなあと思いました。でまあ実際に、介護・介助・支援とやるわけですが、別にエスパーのように心を読む必要はないですし、あんまり難しく考えない方がいいのかもしれません。

人間って おかしなもので、「介護職はきわめて専門性の高い職業なのだ」などと いわれると、そんなことないよと いいたくなる。いっぽうで、「介護職には専門性などない」と断言されると、そうでも ないんだけどなと感じてしまう。そういうもんです。じっさい、「これはボランティアのひとには たのめないなー」ってことも あるわけで。
介護職のひとでも、研修とかで、はじめての現場に いったりしますよね。そのときに、なにがポイントかというと、専門性とか、そういうことではなくて、「そのひとを しらない」という点にあると おもうのです。「そのひとのことを しらない」から、おしえてもらう。そのひとが説明できるなら、そのひとに。そのひとが説明できないなら、介護している ひとに。専門性なんか あったって、しらないひとのことは しらない。けど、それまでの経験は もちろん役にたちます。

http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20101022/1287727153

例えば、自閉症児者の障碍特性を知っていて損することはないですが、その人個人のことを知る以外にはお仕事ができない気もします。長年やっているが上に、知識の積み重ねがあるがゆえに気付けないこともあるでしょうし。要はそれぞれの立場(あと時間や場所)で支援や介護はできるよって話なんだと思うんですがどうでしょう?専門的知識や技術を持ってお金をもらってやる人もいてもいいし、ただそこに一しょにいたり、同じことをする(ごはんをたべるでもなんでも)だけでもいいんじゃないでしょうか。

絶海の孤島で起こる密室殺人事件に関する考察
密室を作るのはだれか、ということを考えてみよう。頭蓋骨に穴をあけるトレパネーションをするのも、脳内密室を探偵もしくは読者が解決するための施術なのかもしれない。しかし、密室を作るのはだれなのか。作者か、犯人かそれとも……。社会派ミステリーなんだから、犯人は社会だ!!じっちゃんの名前を書けません、親戚との付き合いがありませんから。ー了ー

たぶんですが、関わらないっていうのが一番嫌です。まるで、死刑じゃないですか。

この話の何が一番嫌かというと、「社会貢献(≒奉仕)の強制」(←ものすごい矛盾)というところで、これは、東京都の高校や中学校に取り入れられた「奉仕」のカリキュラムに対する嫌な感じと同じなんだけど、さらにそれを大学、専門学校、大学院の学生に対して「教育」の名のもとにやろうとしていることです。さらに、その手始めに無利子貸与の奨学金受給者に目をつけたことも、ものすごく嫌らしい。

http://d.hatena.ne.jp/yotayotaahiru/20101025/1288019642

確かに強制は嫌だなとおもう。本当に自分が子供のころを考えればそう思う。でも、誰も来ないので誰も知らない、特に頭のいい人の検索避けっぷりとかを見ていても絶望に近いものがある。私は関わるしか方法はないと思うので、どうしたらいいかはわからないけど、関わることが少なくなる方向にだけは賛成できないのです。

そんな人達が大量にボランティアの現場に流入することになれば、元々活動されてるモチベーションの高い人の手間を増やすことで本来の活動を妨げることになる。もしくは、素人で知識も何も無いので「じゃ、そこで座ってて」と放置されるか、「この書類をひたすらホチキス止めして」とか誰でもできるような雑用をやらされるだけで、結局「社会還元の意識」なんて根付かないんじゃないでしょうかね。

http://d.hatena.ne.jp/shanaineet/20101022/p1

「そこで座って」ただけでもイイんじゃないかなと。うん、いいんです。ボランティアを受け入れる体制を作れるのが一番いいんだろうなあ。