放射能v.s.電波

今回の災害とは全く関係ないが、知的障碍者の入所施設の利用者が入院を断られるケースがあった。いろんなリスクを回避するために病院はおこなったのかもしれない。さびしい気分になった。他の受け入れてくれる病院があったのでよかった。

福島第一原発の事故に伴い、原発から5キロの所にある施設から逃れた重度の知的障害のある子どもや大人200人余りが、避難先を転々としている。いま3カ所目。付き添う職員やボランティア約50人とともに、小さな建物で限界の生活を続けている。

http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280096.html

今回の災害でこういうことも起こるだろうかなと少し予想していたことではあった。避難所の生活ってのがかなり難しい人もやはりいるだろうな、もちろん。避難所なんだから、構造化とかは難しい面もあるかもしれないけど、そうすることによって、多くの人にとって住みよい環境になりそうではある。まあでも難しい部分もあるだろう。でも平時でも入院が断られるんだから、やはり、避難を断られるようなこともあるのかもしれない。ないと思いたいですが、この記事では……。

いつ「差別される側に立たされる」かわからないということを改めて思い知らされた。差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。完全に利己的な人であっても、十分に賢い人であれば、差別を許容しないであろう。

2011-03-29

太字は私が。元の記事のおおむねの意は、そうですねぇと思った。最後の文だけ気になった。完全に利己的で、差別を許容してしまうくらいに十分には賢くない人(日本語としてあっているのかがわからないのは元の文が難しいからと私がバカだからだ)にとって住みにくい場所ってのは、きっと、賢い人にとっては住みよい場所なのかもしれない。自分(たち)の知的なリソースを賢くない人に払わなくて済むんだもの。でも、ことばとか知はおかねみたいにたくさん流通している方が誰でも使える方がいいんではないのかなと思う。一人で使えないのなら手助けするのもいいんじゃないかと。

はい出ました!! 担当者の説明はまさしく、スクリーニング検査証明書を「人間合格」の証であるかのように扱うという抑圧の責任を「他の避難者」にアウトソーシングしているわけで、 これこそ太宰メソッドそのものであります(『証明書で利益を受ける人の方が多く』というあたりの語り方の嫌らしさよ!)。ダビデの星とどれほどの違いがあるのやら、だ(あっちは『つけさせること』こそが抑圧だったわけだけど)。

http://lunaticprophet.org/archives/4288

だが、突然の環境の変化に大きな声を出したり、落ち着きを失ったりする子どもが相次いだ。「一般の人と一緒の避難所は無理」(猪狩学・児童部長)と考え、13日には学園が所有する同県田村市の通所施設に移った

http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280096.html

現状はわからないが想像してしまう。コンピュータの人なら脆弱性とかいうんだろうか。避難場所に指定されている施設なんかも多いだろうけど、丈夫に作ってあるはずだし。とにかく怖いなぁと思うのは、もし、私が働いている施設で……とか考えてしまうほどの利己的で十分に賢くない自分についてだ。この場合の世間は十分に賢い人たちなのだろうか。